南蛮貿易にともなってやってきた「梅毒」。その時代と医療事情
黒田官兵衛、加藤清正らの武将も感染【和食の科学史⑦】
■日本人のための医学を目指して
この時代は医学の発展があまり見られなかったとされています。戦で負ったケガの治療も、血止めにドクダミ、梅干し、松茸などを使う素朴なものでした。
そんななか、僧から医師に転身した曲直瀬(まなせ)道三(図8)は、歴史、儒学、中国大陸の伝統医学、南蛮医学を学びながらも、これにとらわれず、日本人に有効な、日本人のための医学の確立に力をそそぎました。
食生活については、先に出てきた陰陽五行説にもとづいて、こう書いています。
「日本人は水稲を育て、大豆から味噌を作り、深い海で捕らえた魚を食べている。これらは陰と陽のうち陽の食べものだから、体に熱を与え、温めてくれる。生薬のなかで体を温める作用がもっとも強いのが高麗人参だが、日本人はつねに高麗人参を食べているようなものだ。これに対して大陸の人は陸稲を食べ、海の魚を捕らえることがめったにない。だから陽が不足しがちで、これを補うために鳥や獣の肉を食べるのだ。つまり、日本人が大陸の人をまねて肉を食べる必要はなく、むしろ病気のもとになる」
陰陽五行説では、世界のあらゆるものごとを能動的な「陽」と、受動的な「陰」の二つの働きによって説明します。人の体についていうと、陰と陽のバランスが取れていれば健康で過ごすことができ、バランスが崩れると病気になるとされています。現代の感覚に照らすと非科学的に聞こえるかもしれませんが、ここで重要なのは、風土と、長年にわたって受け継いできた食生活が体を作ると道三が考えたことです。
大陸の人と日本人は生活環境も食べものも異なり、これが気質の違いにあらわれている。体も違って当たり前で、病気の治療法も日頃の健康法も同じでよいはずがない。大陸の伝統医学や南蛮医学を盲信せず、日本人のための医学を追求すべきだ。これが道三の信念でした。